看護師が働いていくうえで、知識と技術よりも武器になり、同僚と差別化をはかることができるもの、それは「コミュニケ―ション」です。そしてコミュニケーションという言葉は、あまりにも一般的で気づいたころには、当たり前のように使っているのではないかと思います。
あらためて、「コミュニケーションって何ですか?」と聞かれて、その意味を的確にこたえられる人は多くはありません。
岩波書店「広辞苑」で「コミュニケーション」とは何か調べてみると、コミュニケーションとは「社会生活を営む人間の間に行われる知覚・感情・思考の伝達。言語・文学・その他視覚・聴覚に訴える各種のものを媒介とする」とあります。コミュニケーションとは、ただ単にコトバだけでなく、それに付随する視覚や聴覚に訴えて成立するもののようです。
では、コミュニケーションはあなたも私も毎日、当たり前のように、意識せずに行っているのでないでしょうか?けれども、深層心理では無意識のうちに相手や場面に合わせて、その目的や意味、重要性、スキルなどを駆使し、自分の思いをコトバとコトバ以外のものを伝えているのです。
ある研究によると、
- 情報収集
- 話のスムーズさ
- 積極的傾聴
- パーソナルスペース・視線交差
- アサーション
の5つの因子が、看護師と患者のコミュニケーションに重要であることがわかっています。
上野栄一:看護師における患者とのコミュニケーションスキル測定尺度の開発
日本看護科学会誌、2005 年 25 巻 2 号 p. 47-55
つまり、対患者だけでなく医療従事者間、患者家族間などすべての場面で重要な因子であるとも言えるのです。
臨床現場で長く働いていると、「もう少し上手にコミュニケーションが図れるといいのになぁ…」と思う場面が沢山あります。違う言葉を選んで話したり、会話のトーン・速さを工夫したり、相手との距離感・雰囲気を工夫したり…それだけで、解消できる問題や患者からの訴えも実は沢山あるのです。
そのスキルは勉強したから、知識があるから会得できるものではなく、ある程度はその人のセンスなのかもしれません。けれども、「センス」という言葉1つで片づけてしまっては、コミュニケーションが難しい患者さんや場面では何も解決しないと思いませんか?
そして、1つ大切なことがあります。それは、「経験年数が豊富な看護師がコミュニケーションスキルが高い訳ではない」ということです。経験年数が豊富だからこそできるコミュニケーションもあるのですが、患者さんにとって本当に意味のある・心に残るコミュニケーションは、あなただからこそ提供できるものだということを忘れてはいけません。
ここでは、看護師がコミュニケーションで悩む場面を具体的にあげていくとともに、場面に応じた問題点と課題、対処方法をわかりやすく解説していきます。
目次
同僚看護師とのコミュニケーション
同僚看護師とのコミュニケーションで大切にしたいことは、「礼節」と「思いやり」です。
「礼節」と言ってしまうと、堅苦しく聞こえるかもしれませんが、「挨拶をする」「会話の中で相手の名前をきちんと言う」「感謝を伝える」「言葉遣いは丁寧に」など、社会人として人として、TPOに応じた最低限のマナーは大切にしてほしいのです。
お互いに信頼関係ができてくると、相手の名前がニックネームになったり、友人とラフに話すような言葉遣いになっていませんか?ここは職場ですし、医師含め他の医療従事者、患者さん、ご家族が見ています。
自分は切り替えてうまく使い分けているつもりでも、不適切な場面で、不適切な言葉遣い・対応が出てしまう危険性があります。「なれなれしい」のと、「親しみやすい」ことは似て非なるものですし、前者は同僚や患者さんからの信頼を失いかねません。最低限の礼節は忘れずにしていきたいものですね。
看護師の仕事で「思いやり」とは何か、具体的にイメージしにくいかもしれませんが、頑張ったことをポジティブフィードバックする、忙しそうならサポートする、困っているとき悩んでいるとき声をかける…など、自分がされてうれしいちょっとしたフォローや声かけだと考えます。
思いやりのある職場では、いじめや陰口が少なく良いチームワークで働けると思っています。周囲のスタッフがそうでない場合には、すこしずつ「思いやり」のあるコミュニケーションを意識してみるだけでよいのです。
自分がされて良かったこと、助かったこと、うれしかったことは、同僚もそうであることが多いのです。そうすると、良いことはさらに良いことを招くという、好循環のサイクルが回り始めます。
すこしずつ思いやりが増えてくると、お互いにコミュニケーションもとりやすくなりますし、働きやすい環境が整ってくるはずです。
そして、先輩・後輩看護師にかぎらず、どうしてもうまくいかない看護師がいると思います。そういう場合は無理に仲良くしよう、ご機嫌を取ろうと思っても、悪い方向にしか進まない事の方が多いのです。コミュニケーションは相互作用で成立するものなので、相手が望んでいなければ、どれだけ努力しても良好なコミュニケーションにはなりません。
そういう時におススメするのは「仕事と割り切る」ということです。
職場での人間関係が、人生のすべてではありません。業務が終われば、他人ですので自分のプライベートを脅かす存在にはなりえません。その人と上手くいくことが仕事ではなく、看護をするのが私たちの仕事です。コミュニケーションが円滑な方が上手くいくこともありますが、そうではないときには、割り切ってお仕事をするのも、自分を守るためには大切なコミュニケーション・スキルではないかと考えます。
先輩看護師とのコミュニケーション
同僚看護師の中で、特にコミュニケーションに苦労するのが先輩看護師です。
なんだか怖いし、怒られたくないし…と、苦手意識を持っていませんか?
先輩看護師だって、人間で少し前までは自分のように新人看護師や若手看護師だった時代があるのです。だから、その気持ちがわかるはずなのに、そうでない人は沢山いるのも事実です。
先輩とうまくいかない、コミュニケーションが難しく感じる時に、相手の発言や教えてくれることに素直に耳を傾けていますか?
好きな先輩・働きやすい先輩と同じような、表情・雰囲気で接しているでしょうか?こちらが意識したり、警戒していると相手も感づきますし、あまり良い気はしませんよね。
真剣に仕事を教えてくれようとしているのに、素直に話を聞かなかったり、「わかった」のか「わかっていない」のか、意思表示が明確でなかったり、自分がされて不快な対応をしていませんか?
先輩と仲良くなろうと、無理に距離感を縮めていませんか?先輩と仲良くするといっても、学生時代やバイト先とは少し違い、社会人なのでやはり「礼節」は大切してほしいと思います。
もし、コミュニケーションがうまく言っていない場合には、「業務に支障をきたさない」「現状以上悪化しない」のであれば、仕事と割り切ってお付き合いするのが、一番だと思います。時間が経つと、少しずつコミュニケーションがとりやすくなる人もいるのも事実です。
社会人としてのコミュニケーションスキルを活用しながら、できるだけ仕事にも精神的にも負担のないコミュニケーションをとっていきたいですね。
後輩看護師とのコミュニケーション
後輩看護師とのコミュニケーションで一番に浮かぶものは、新人看護師とのコミュニケーションではないでしょうか?
後輩看護師とのかかわり:プリセプターシップ
後輩看護師と密接に関わる業務の一つに、「プリセプター(プリセプターシップ)」という制度があります。
新人看護師(プリセプティ)の指導や教育全般に、先輩看護師(プリセプター)が関わり職場への適応と精神的な支援を行っていく、教育制度のことです。
プリセプターシップは、新人が臨床現場に出てすぐの時期に行うことが効果的とされており、一般的には新人看護師が入職してから、3ヶ月~6ヶ月程度の期間に行われています。
新人看護師は看護基礎教育でさまざまな知識・技術を習得し、国家試験に合格して入職してきます。
しかし、臨床現場に出てすぐはまだ“何もできない状態”であるため、それを一定のレベルまで指導する担当としてプリセプター制度が導入されマンツーマンで指導しています。
近年、卒後教育の充実している大きな病院だけでなく、個人病院やクリニックまでプリセプター制度が導入されたのにはある理由があります。
2010年4月から、国の方針で新人看護師研修を行うことが努力義務化されるようになりました。その背景としては「臨床現場で必要とされる臨床実践能力と看護基礎教育で習得する看護実践能力との間には乖離が生じ、その乖離が新人看護師の離職の一因であると指摘されている」からです。
看護師が一番離職しやすい新人時代。
新人看護師のリアリティショックをやわらげ、臨床に適応し離職を減らすことが目的でもあり、効果があるということで積極的に導入されるようになっているのです。
後輩とのかかわりで大切にしたい2つのこと
プリセプターシップやコミュニケーションにおいて忘れてはいけないことは、
「相手も大人」
「他人で別人格」
であるということです。いくら新人看護師が知識も経験も自分より未熟であるとはいえ、相手も大人です。
大人の人に何かを教えていく、学んでいってもらうには教えるほうにもスキルと根気が必要です。
経済産業省が「職場や地域社会で多様な人々と仕事をしていくために必要な基礎的な力」として2006年に提唱した、「社会人基礎力」とよばれる言葉があります。
社会人は仕事をしていくために「前に踏み出す力」「考え抜く力」「チームで働く力」の3つの能力を身につける必要があります。プリセプターシップはその能力を身につけ、個人の能力を伸ばしていくための教育体制です。
医療はコミュニケーション1つで、円滑にすることも、難航させることもできてしまいます。3つの能力の基礎として、コミュニケーションは大変重要な意味を持ちます。
また、後輩看護師とのコミュニケーションで「言ったのにわかってくれない(やってくれない)」「あの人何を考えているかわからない」ということはありませんか?それは、自分と後輩看護師(プリセプティ)を同一視してしまい、相手が他人だということを自覚せずに自分軸で考えてしまっているからおこる思考です。
他人だから自分の思いをそのまま、全てわかってもらうのは無理です。
同時に相手が何を考えてるか、全て理解することは特殊能力がない限り不可能です。
その溝をうめるために、日々、お互いを尊重したコミュニケーションをとり後輩看護師と相互に理解を深め、信頼関係を築いていくことが大切になっていくるのです。
さらには、プリセプターシップに集中しすぎるあまり、「自分ががんばらなければ後輩が怒られてしまう」「うまく教えないと自分も怒られる、評価されない」と、思っていませんか?
プリセプターシップで本当に大切な、リアリティショックを減らすという本来の目的を忘れてしまう先輩看護師(プリセプター)が多いのも事実です。
大切なことは怒られないことではなく、リアリティショックをへらしお互いに成長する、次につながる力をつけていくことなのです。繰り返しになりますが、大切なのは成人学習者・同僚、一人の人として尊重してコミュニケーションをはかっていくと、後輩看護師とのコミュニケーションを負担に感じなくなるのかもしれません。
医師とのコミュニケーション
医療機関で働くうえで医師は切っても切り離せない、大変重要なパートナーです。
看護師の仕事は保健師助産師看護師法(以下、保助看法)で、「厚生労働大臣の免許を受けて、傷病者もしくはじよく婦に対する療養上の世話又は診療の補助を行うことを業とする者をいう」と規定されているので、医師の診療の補助は看護師の仕事のひとつであるといえるのです。
一昔前の医療現場はテレビドラマみたいだった
十数年前まで、医療は医師を中心としたピラミッド型モデルで、医師とくに医局のトップにある医師が一番えらいと考えられていました。若い看護師はそのピラミッドの中で、一番下に存在し、頂点にいる医師に話しかけるなんてもってのほか!
看護師は医師の指示に従っていればいい、口答えや意見するなんて万死に値するなんていう医者はざらで、理不尽なことがまかり通っていました。
このピラミッド型医療モデルは、日本独自の文化として長く根付いていました。しかし、日本が医療のお手本としている欧米諸国、特にアメリカでは、古くかららチーム医療が根付いていました。
チーム医療では医師も看護師も、そのほかのコメディカルもすべてが独立した専門職として、お互いの知識や経験を尊重しながら主体的に患者を診ていくことが基本です。近年の医療の高度化・専門化・複雑化の中では、1人の患者を診るのに単一の診療科だけでは医療を提供することができなくなっています。そのため、医師ひとつとても各診療科の医師がそれぞれの知見をもちより、互いを尊重し治療にあたるようになってきています。
ドラマであるような「A先生の患者さんだから、診ません」「B先生とは卒業大学も派閥も違うので、担当しません」なんてことは、今はほとんどなくなってきているのです。
チーム医療がもたらしたもの
チーム医療を行うなかで、一番大きく変わったのは「医師の意識」でした。
チームで医療をすすめるなかで、お互いの専門性と主体性を尊重しなければ、偏った意見・治療になってしまいます。
徐々にではありますが、患者の一番近くで患者をケアしている看護師の意見を取り入れるようになりました。大多数が看護師の意見を取り入れているなか、自分だけがピラミッド型の思考ではうまくいくことも、円滑にすすみません。
その結果、集団の中で孤立し、働きにくくなる…という逆転現象も起きてくるのです。
チーム医療で働いていくと、相互理解・協力があり、ポジティブフィードバックしあえる関係であればあるほど、さらに円滑に仕事がすすんでいくようになり、誰にとっても働きやすい環境が整ってくるのです。
それでも怖くて、苦手な医師とのコミュニケーションを円滑に行う方法
とはいっても、目の前にいる医師は忙しそうで、いつも当たりが強くてコミュニケーションがとりにくい…と感じてしまうかもしれません。
医師も人間ですので、忙しいときや他のことをしているときに、声をかけられ思考や行動が遮られ、対応を求められるとその対応は怖いように映るのかも知れません。
その際にコミュニケーションツールの1つとして、SBAR(S:Situation(状況、状態)、B:Background(背景、経過)、A:Assessment(評価)、R:Recommendation(依頼、要請))を活用し端的に伝えるのも一つの方法です。
The SBAR has been proven to improve nursing efficiency (thinglink.com)
伝え方を工夫するだけで、コミュニケーションがとりやすくなるのも事実です。世界中で共通の認識となっています。
ぜひ、一度自分のコミュニケーション方法を振り返るとともに、上手に医師とコミュニケーションを図っている人を参考にしていくことをおすすめします。
そして、たまには世間話をしてみると良いと思います。
その人の人となり、忙しくない普段の様子がわかると、「今は忙しそうだから後にしよう」「今なら話しかけて大丈夫かも」と、受け手である医師の様子が冷静に捉えられてくると思います。
医師も人間ですし、経験年数を重ねると少しずつ、医師とのコミュニケーションが取れるようになってきますので、時間が解決してくれる悩みでもあるかもしれません。
きっと、いつか、医師とのコミュニケーションに悩むほかのスタッフのサポートに回れるようになりますし、今の気持ちや経験が役に立ちます。
だから、大丈夫です、安心してくださいね。
患者さんとのコミュニケーション
看護師が仕事としていくうえで、患者さんとのコミュニケーションは避けて通ることができません。姿勢や、態度、言葉遣いやマナーが患者さんとのコミュニケーションでは大切と、看護学生時代にも社会人になっても言われ続けてきたと思います。
そのほかにも、「礼儀正しさ」「一方的にならない双方向のコミュニケーション」「マイナス感情を出さないコントロール」など、具体的には、挨拶をおこない、言葉遣いに気をつけ、相手を尊重し、傾聴するという風に教わったかもしれません。
本当にそれだけで、スムーズなコミュニケーションが図れるのでしょうか?一般的なサービス業ではそれで問題なく対応できるのかもしれませんが、看護師として働いていくうえでは不十分です。
看護師は一人ひとり異なる「世界」を持つ患者の、社会・心理について理解する必要があります。
けれども、相手自身になったり、相手の全てを理解することはできません。コミュニケーションを通して、相手の言葉や非言語的メッセージを聴き、患者のもつ「世界」を理解するということが重要なのです。
患者さんから「信頼できる看護師」と思われる、認められる理由のひとつに、「この看護師さんは自分のことを理解してくれる」と、看護師に対して思っているということがあげられます。
患者さん自身が、看護師を自分の味方でよき理解者であると思ってくれると、もっと患者さんはいろいろなことを話してくれます。
すると、今以上に関係性は良好になり、さらに深く患者さんのことを理解できるようになっていきますし、看護問題が明確になり看護が展開しやすくなるでしょう。
この状況では良好な双方向コミュニケーションが図れているでしょうし、下手な先入観がなく、ピュアな気持ちで患者さんと向き合えるようになっていると思います。
患者さんから、信頼される看護師ってかっこいいし、あこがれですよね。患者さんと頑張ってコミュニケーションをとる、姿勢や、態度、言葉遣いやマナーに気をつけて…って、思っていると、コミュニケーションの本来の意味や楽しさに気づくことができないかもしれません。
患者さんの「世界」「物語」を聴くと考えると、すこしだけ患者さんのことを理解しようという気持ちになりませんか?興味が出てきませんか?
その気持ちがあることで、患者さんの受け取り方も変わってくると考えています。患者さんとのコミュニケーションで悩んでいる人は、一度視点を変えてかかわってみてはどうでしょう?
きっと、今までとは違う患者さんの「世界」がみえてくると思います。
患者さんのご家族とのコミュニケーション
患者さんとのコミュニケーションは大丈夫でも、家族は苦手という看護師は少なくありません。
ご家族と良好な関係を結べず、悩む看護師もたくさんいます。そのような場合に、家族は看護師に何を求めているかを考えてもらうようにしています。
ご家族が求めていることは、「ちゃんと家族のことを看てくれている」「家族のことを大切にしてくれている」「丁寧に対応してくれる」「知識・技術がしっかりしている」そして「礼儀正しい」などではないでしょうか?
その家族のニーズが十分に満たされていないと、家族から発信される言語的・非言語的コミュニケーションは非常に厳しいものとなります。
患者さん家族と看護師の関係がうまくいかない場合に、ご家族からいただく意見として多いものは「ちゃんとした看護師を担当にしてください」ということ。
みんな、国家資格をもったちゃんとした看護師ですが、この場合の家族の意見は前述したようなニーズが満たされていからではないでしょうか。
大切な家族が病気のときに、ご家族も心配ですし、神経質になり気苦労も絶えず、些細なことが気になってしまう方もすくなくないのです。
その点を理解し、自分が家族だったらどう思うか、感じるかという点を大切に、コミュニケーションをとっていくと良いと思います。
さらに、お話していく中で話題を患者さんのことに限定せず、ご家族に寄り添いねぎらうことも大切にしています。
患者さんにとって、家族は大切な存在ですし、患者・家族を含めた支援が必要です。患者さんが元気になるために、ご家族とのコミュニケーションをはかる、そう考えたらすこし楽になりませんか?
苦手であれば、気負わず、忙しさは抑えて、傾聴するのもひとつの手です。
そうすれば、ご家族の真意・本音が見えてきますし、アプローチ方法もみつかります。
患者さんのご家族からは「あの看護さんはちゃんと話を聴いてくれる」と評価されますし、結果として損はしないのです。
困った場合には、ぜひ「傾聴」してから、次の一手を考えることをおすすめします。
医学的なことを聞いてくる自分の家族との関わり方
家族にとって、看護師の身内は信頼できる一番身近な医療従事者です。
その場合に、看護師として答えられること、対応できることはしておいたほうがいいと思います。
家族が医学的なことについて理解できているか、リスクとベネフィットを理解した上で判断しているか、判断した結果が家族にとって有益か…気をつけるポイントはたくさんあります。
そのなかで、忘れがちなことがあります。
それは自分は看護師だけれど、「家族」であるということです。
医療従事者であれば冷静に判断できても、家族のこととなるとそうは行かなくなるのが人間です。
聞かれた内容にとっては、看護師として答えたほうが楽なこともあるでしょう。
家族が聞いてくることは、看護師としての意見ですか?家族としての意見ですか?
看護師としての意見ばかり前面に押し出してしまうと、大切な家族としての意見・立場を見失い、無意識のうちに看護師ではない自分の意見や感情を押し殺してしまうことになりかねません。
聞かれた内容によっては、「看護師としての答え」と「家族としての答え」を持っておくことをおすすめします。
どちらの答えをもとめているのか、それは、その場ではわからないことがほとんどです。
けれども、どちらも持っていることで、大切なことを見失わず後悔することが少なくなるはずです。
勝手に将来の介護や看護を期待する周囲とのコミュニケーション
看護師あるあるなのですが、看護学校に入学したり病院で働き始めると「これで病気になったり、寝たきりになっても安心できる」と身近な人に言われてしまう事が増えてきます。
長く看護師として働いていると、右から左に受け流せるようになりましたが、初めのころは「自分がやらなければ」「期待されているから頑張らなければ」と妙な正義感と使命感を持っていました。
看護師として働いていると、医療・看護の現場では、24時間ずーっと働き続けることは困難だということがわかってくると思います。
「給料をもらわなければ、こんなきつい仕事はやってられない」思うこともあるでしょう。
忙しくなれば、緊張感と疲労とストレスから「優しい看護師」でいることは難しくなります。
また、病院で働いていればさまざまな医療機器があり、患者の状態は適切にモニタリングできますし、早期対応が可能ですが、自宅ではできないことも多くなります。
看護師は国家資格を持った専門職です。
その、知識と技術が期待され評価されていることは、大切なことですが、看護師がいるからなんでも安心というわけではありません。
看護師がいるから、すべて解決する。
看護師は、どんなことでも嫌と言わずに請け負ってくれる、便利屋・ボランティアではないのです。
最近では、そのように言われてしまった場合、「私を看護師さんとして雇うと高いですよー」と、「無給でなければ仕事としてやります」と言うようにしています。
本当に必要な人は、お金を払ってでもお願いしたいと言ってくれます。ただの冷やかし、言いたいだけの人は、何も言ってこなくなります。
ただし、一つだけ違う状況があります。
自分自身の身近な人や本当に大切な人が、介護や看護が必要になったときです。
期待されていなくても、求められていなくても、自分のもてる知識と技術の全てで、対象をサポートしたいという思いが出てくるでしょう。
フローレンスナイチンゲールの有名な言葉「奉仕の精神」と共通する、看護師としての使命感から生まれる行動です。
そのときは、自分の持てる力をすべて発揮する。
周囲から期待され、望まれるままに看護師としての知識や技術を提供すれば、一見うまく回っているようにみえるのかもしれません。
それは、「看護師の自分」を安売りしている状態です。いままでの看護師たちが、看護師の自分の安売りを繰り返してきたから、勝手に将来の介護や看護を期待する人がいるのかもしれません。
これからの看護師たちが自分たちと同じ思いをしないためにも、「相手にしない」「看護師はボランティアでないと伝える」ことが、大切なのではないかと思っています。
近所の人や知人に医療について聞かれたら
これも看護師あるあるなのですが、「○○ていう病気って大変?」「病院で△△って言われたけど、大丈夫?」など、いきなり病気や医療の話を振られてしまうことがあります。
個人的にはこの手の話が得意ではないので、最近は必要がない限り看護師を隠し、「会社員です」というようにしています。
ここ最近、新型コロナウイルス感染症やワクチン接種に関して、たくさん質問を受けてちょっと疲弊してしまったので、自分を守るためには必要なスキルだと思っています。
本題に戻りますが、近所の人や知人に医療について聞かれた場合は、「教科書に載っていること」は答えるようにしています。
病気・薬・検査すべてにおいて教科書レベルの回答にし、わからないこと専門外はわからないと正直に伝えています。
特に、手術の術式や検査方法は、疾患・病態・年齢・医師の方針・病院の方針によって変わりますので、自分の経験談のみで話を展開することは控えたほうがよいでしょう。
また、そのような話を振ってくる相手の、本心について考えることも大切です。病院や医師からの説明をよく理解していないから、身近な看護師に質問したい場合と、不安だから聞いてほしい場合ではコミュニケーションスキルも異なります。
聞いてほしいのか、聴いてほしいのかの違いです。
「聞く」よりも「聴く」ほうが、理解しようとすすんで耳を傾ける、積極的にききにいくという意味を持っています。
後者の場合は、傾聴するスキルが必要です。
聞かれたことをうっとうしく思わず、めんどくさがらず、相手の心理まで考えて対応できると、答えやすいのでおすすめです。
SNSで誤った医療情報を流す人たちとどう関わる?
巷には、さまざまな情報があふれています。
一般の人が医療や健康情報に接する入り口は、Twitter・FaceBookなどのソーシャルネットワーキングサービス(以下、SNS)という人がほとんどです。
ネット上の医療情報に関しては、とても有用な情報がある一方で、誇大広告であったり、効果や科学的根拠が存在しないような、不確かな情報がたくさんあります。
特に、昨今の新型コロナウイルス感染症においては、世界中で根拠に基づかない情報が拡散され続けています。
看護を学んでいくなかで、繰り返し「エビデンス・根拠」と言う言葉を聞いてきたことでしょう。
病院内では、研究と科学的根拠に基づく医療に診療報酬が支払われています。
そのため、医療機関で提供されているものには、根拠に基づく医療が提供されており、誤った医療情報はありません。
EBM(Evidence-Based Medicine”根拠に基づく医療”)の重要性が、病院を一歩出ると根底から揺らいでしまうのが現代社会なのです。
SNSは、根拠や事実云々よりも「感情」を揺さぶるコンテンツが拡散されやすい実態があります。さらには、扇情的・感情的な情報は人の目にとまりやすく「良かれ」と思って、善意からシェアされているのです。
さらに、情報を流す側には、情報の拡散されることで広告収入が得られ「儲ける」という目的もあったりします。
誤った情報に対し、あなたができるいくつかのことがあります。
1つは、誤った情報の拡散に加担しないこと。
根拠や発信元が不明確で、感情的・扇情的な表現、テレビドラマや漫画にありがちなシチュエーションの場合には、注意が必要です。医療従事者がそういた情報を拡散してしまうと「看護師がシェアしているから大丈夫」と、自分の意図しない方向で情報に意味づけがなされてしまい、誤った情報を流す側になってしまう危険があります。
2つめは、躍起になってその情報を否定しないということです。
誤った医療情報をみると、「本当は○○です」と言い返したくなるかもしれません。
しかし、善意のシェアが行われている際に、それを否定する人は「敵」とみなされ、正しい情報なのに不必要な攻撃をうけてしまう可能性があります。
そうすると、疲れてしまうし傷ついてしまうでしょうし、こちら側のメリットは何もありません。
扇情的・感情的な情報であればあるほど、SNSでは盛り上がりますが、長続きせず人々の記憶に残りにくいのも事実です。しばらくすると、またSNSではそれを否定するもしくは、それを覆すような情報が拡散されます。
そのたびに誤った情報を否定し、世界中と終わらない鬼ごっこをするのは、疲れてしまいます。
情報の真偽を見極めるネットリテラシーは大変重要です。誤った医療情報を見過ごすのではなく、自分をまもるためにも、不必要にかかわらないことも大切でなのではないかと考えています。
まとめ
日々、当たり前のように行っているコミュニケーションも相手や立場、状況が変わると難しく感じてしまいがちです。
けれども、少しおちついて考えたり、相手の立場や心理に思いを馳せると、実はコミュニケーションは格段に取りやすくなることが多いのも事実です。
世間にはさまざまなコミュニケーションスキルがあふれています。
裏を返せば、それだけコミュニケーションにみんなが悩んでいるということ。
コミュニケーションもたくさんの経験と、スキルを活用した実践ですこしずつ磨かれていきます。
もし、試してみよう、参考にしてみようと思うものがあれば、1つずつ始めてみましょう。
半年後・1年後のコミュニケーションが、いまとは違うものになっているはずです。